Ruka闘病記そしていろいろ

日々感じること、病気のこと

眠れないから

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 私の心の彼氏。

転載不可。

 

さて

眠れません 

 

なので病気の話。

 

大好きになった女医さんのもと

検査した話はしたよね。

 

時は年末。

クリスマスも

お正月も

楽しみにしてたライブも

すべてなく、

でもそんな中、父が

個室を取ってくれた。

一日で一万する個室。

それでもお前が人に気を遣わず

過ごせるなら高くない。

そうしようと言ってくれた。

当時は意識朦朧としていたから

 

ベッドで自分が運ばれていく先など

考えもしなかった。

でもそれがとても私にとって

良い方向に進んだと

思い返す。

 

まず、

パクキタセルという

三回の点滴治療をやった。

腫瘍熱が出て

3回目は点滴できなかった

そして

毎日何回も

真っ黒い胃液を

吐き続けた。

痩せこけて

体重は40キロくらいになった。

 

もちろん食事は取れない

点滴のみ。

そして痛み止めの医療用麻薬も始まった

 

もう腕から点滴はいっぱい。

なので

小林真央さんも

死期の直前のインスタで

載せていたポート点滴。

彼女は鎖骨だったが、

私は首から痛み止めを入れ始めた。

どこに行くにも

点滴棒と一緒。

でも一月はとても辛くて

一人で病院内の一階の

コンビニにさえ

車椅子だった。

看護師さん達に支えてもらう毎日だった。

 

そして、

点滴パクキタセルが効かず

 

こんどは今も飲んでいる

T Sー1

という抗がん剤が始まった。

薬は看護師さん管理。

 

パクキタセルのおかげで

髪が抜ける抜ける、、

 

掃除の方が

多くを語らず

黙々と

髪を取って行ってくださる。

 

でもいくらコロコロなどをかけても

 

髪は抜ける。

一度

看護師さんに

洗髪してもらったのだけど

抜けて

とても大変な思いをさせてしまった。

 

外出許可をもらって

 

行きつけのヘアサロンに行ったこともあったんだ。

洗髪して貰ったら

やっぱりすごく抜けて

 

病気を打ち明けて

ありのままの姿を見せたよ。

スタイリストさんは

頑張って

またオシャレしましょう

待ってますと励ましてくれた。

 

父と母は

毎日二時ごろと夕方きてくれた。

息子は当時高校2年で

部活も勉強もとても忙しい毎日。

実家でお世話になりつつ、がんばってくれた。

必ず夜は

お見舞いに来てくれた。

 

私はなにも食べられないけど

飲み物はほしくてしかたなかった

氷のカラカラと

心地よい音だけで満足した。

 

息子も

両親も

必ず

カルピスのような物をかってきてくれる。

 

でも

すぐに吐いてしまうのだけど。

 

 

そんな毎日だった。

雪の日も

寒い日も

病室の窓から

眺め感じるだけの日々、、

 

辛かった。

 

 

また話します

読んでくれてサンキュー

💖👸🍀✨🌈💛❤️🌈😊👸🏻