Ruka闘病記そしていろいろ

日々感じること、病気のこと

さて

入院した時の話を。

 

黒いもの吐き続けていた

2016年一月

パクキタセルもおもったほど効果なく、

腹水を抜く治療が続いた

お腹に穴を開け

黄色っぽい水を抜く

そして栄養分だけ元に戻すという作業

 

個室だったので

検査器具全部部屋に運んで

主治医の女医さん、

いつもの看護師さん

二人掛かりで

処置してくれた

 

3回ほどそれを繰り返した

 

いまもまだ腹水は

少しあるらしい。

 

そして

抗がん剤がスタートした

 

副作用で

口内炎が沢山出来る

いたい。

うがい薬で何度もうがいをする

 

まだ自分の身の回りを綺麗にとか

肌のお手入れ

歯磨き

着替え

全くやる気が起こらない。

 

友人にも

きて欲しくなかった

 

誰にも会いたくない

 

夜も眠れない。

 

深夜に

テレビカードを入れて

テレビをみる

 

深夜番組は正直

気の抜けたコーラみたいなもの。

 

通販番組は見た

たとえばリファのような美容器具

 

いいな

買おうかななどとボンヤリ見ていた

 

眠れずに看護師を読んで

氷をもらう

カラカラする水音に

癒された

 

ご飯は無し。

三食の時間になると

ドアを閉めて困るか

六階の自分のあるフロアを

点滴棒を持ち歩く

図書コーナーで

漫画や小説をかりる

でも集中できない

また夜がくる。

 

2月になり

黒いものがだんだん

白いものに変わっていった

父は

あの黒いものはガン細胞だと

今だに言う

わからないけれど

そうかもしれない

 

抗ガン剤が効き始めたのか

すこしづつ

ほんとに少しづつ

 

回復の兆しが見えた

 

むくみもあるが

リハビリの大きな若い男性がきて

マッサージしたり

私のほうがリハビリ室に出向くこともあった

歩くこともすこしづつ

できるようになっていった

 

そして

 

2月の20日すぎくらいだったか

食事が始まった

10部お粥、ヨーグルト、お味噌汁

卵焼き、冷奴、、

食べられないときもたくさん。

冷蔵庫には

主治医の先生の

旅行お土産のチョコレートが

手付かずでのこっていたり

飲んでもすぐにはいてしまう

カルピスなどが

ある。

 

息子が食べてくれることも多かった。

 

彼は受験を控えて

志望校の選択など、本来親がやるべきこと

すべて高校の先生に相談していた

高校の先生方は

二年、

三年と違ったけれど

 

とても親身に彼に寄り添ってくれた。

私の病気もとても心配してくれた

息子も私の病気も何もかも受け入れ

辛抱してくれ

大きく成長してくれた

 

ダンナは

心配はするものの

お金はだしてくれたが

私とは合わない人で

頼りにならなかった

 

両親は1日2回の訪問を欠かさなかった

ありがたかった

足がむくんだひどい時は

さすってくれて

涙を流していた

 

そんな二月のおわり

3月2日に退院しましょう

先生からお話がある。

 

外泊の許可も一度とったが

体調が悪くて、病院に夜中に戻った

経験があり

退院が不安だった

 

看護師さんが

訪問して

必要な処置をすることを

先生は提案してくれた

 

でもまだ私は若いし

母も父もいてくれるのだから

他人は入って欲しくないと

正直な気持ちを告げた

 

主治医の先生は

いろいろ相談して

考えてくれて

 

結果

訪問看護師の話は

無しになった

 

ほっとした。

 

そして

3月2日、

母が決めた大安の日

 

親しくしてくださった

大勢の看護師さんたち、

食事を運んでくださった

介護士の方たち

 

皆さんによかった、

不安なら、いつでもおいでね、

 

あなたほど優しい患者さんはいなかった

病気でも笑顔で

気を遣っていたね、

 

と抱き合い、私もたくさん泣いた。

 

母からたくさんの苺

私もチョコレートを買ってもらってきて

 

お礼ができた。

 

いよいよ、帰れる。

不安もたくさんだったが

帰れることが嬉しかった

 

 

また書くね

読んでくれてありがとうf:id:daian1023:20171201193937j:image